:下重暁子

宇都宮

何者かが、空を渡っていく。その轟音に、人間はひれ伏さざるを得ない。久しぶりに宇キ宮へ行った時、雷に会った。

私にとっては懐かしい音だ。毎日夕方になると神々の渡りとでもいわんばかりに、わが物顔にやって来て、人々を驚かして去っていく。

その雷も東京で出会うのとは大違い、屋根から家全体そして地響きまでするような凄まじい音である。

この音を聞いて私は生まれた。生まれた日が雷であったかどうか定かではないが、私の誕生日は5月29日ということを考えると、初夏であり、雷があっても不思議ではない。

私の最初の記憶もこの雷である。赤子の頃は、闇の中に1人寝かされている。突然、空が割れて光がほとばしり、後を追うように雷鳴がとどろく。赤子の私は、誰もいない家の中でおののいている。

2歳までしか宇キ宮にいなかったから、1歳の頃の記憶だというと、みなそんな幼い頃の記憶はないはずという。両親までも、後で親の話を聞いて、自分の体験だと思い込んだのだろうという。そんなはずはない。私は、私の五感を通して知っているのだ。

あの音と光は、一種の恐怖であった。いくら幼いとはいえ、いや幼いからこそ恐怖の体験というのは肌に染みついているのではないか。私の幼児の体験は、他からの受け売りではなく、私自身の体験だと確信をもっていうことができる。

生まれたのは、栃木県の宇都宮市である。父が職業軍人で、陸軍の第14師団に中国の旅順から転勤になり、一家は宇都宮に住むことになった。

石碑

昭和11年2月26日、いわゆる二・二・六事件が起き、青年将校だった父も上京しようとしたが、上司に止められて果たせなかった。その時すでに私は母の体内にいて、同年の5月29日に生まれるのだが、当時の住居は、師団司令部から続く軍の桜並木のそばにあり、生まれたばかりの私を懐に入れ、いつも父が散歩をしたと聞かされている。

どのあたりかと後年行ってみると、県庁に近い大通りの端に石碑があり、
  「桜並木ここにありき」
という文字が彫られていた。

2年宇キ宮にいて、仙台へ父は転勤になり、私が生まれたのは確かに宇キ宮だが、親戚もなくその後全く縁のない土地になってしまった。

父は東京の人間で、母は新潟ということで、「出身は?」と聞かれると私は戸惑ってしまう。ただ「出生地は?」と聞かれれば、間違いなく「宇キ宮」なので、そう答えると出身と間違えられることも多い。

育った土地ではないが、産声を上げた土地はやはり私にとって大切で、その縁でずっと栃木県に縁のあるものとして、「とちぎマロニエ特使」や「とちぎ特使」に任命され、栃木へ行く機会が増えた。

そして、何度目かの講演に出かけた時、生まれた頃に聞いたあの雷の音を聞くことができた。神が天上を渡るかと思えるその音の記憶は、確かに私の体内にあった。恐ろしくもあるが懐かしい響き・・・、これがまさしく私が幼児期に聞いた音であった。

宇キ宮にいた頃、日光にも連れていかれたし、方々に旅行したらしいが、何も記憶してはいない。

田母沢御用邸

雷以外、私の記憶にある栃木は、その後何度か訪れた時に心の中に積重ねられていっただけだ。日光の杉並木や今上天皇が終戦前後に疎開していた田母沢御用邸などを知り、切込湖刈込湖をはじめ、戦場ヶ原や奥日光の湖、牧場には、いずれも鳥を見る仲間と訪れたことがある。

ふくべ細工

そのたびに、栃木は私にとって親しいものとなり、新しい発見があり、日光に山荘をかまえた友人の家を訪問する楽しみもある。我が家では、栃木の特産品“かんぴょう”で作った金塗りのお盆(ユウガオの実で作ったふくべ細工)が昔からあって、今でも大切に使っているし、栃木と聞くと他人とは思えない。

そして、最近またと栃木との縁ができた。


私の職業は、物書きであるが、2006年から日本自転車振興会(現、財団法人「JKA」)の会長職を仰せつかっているので、宇キ宮競輪場へ出かけることもあるのだ。宇キ宮は自転車先進地で、環境からいってもエコに優しい自転車はこれから大事であるし、トラック競技のみならず、ロードレースなど世界の競技が行われる場合も多く、また縁が深くなった。

とちぎ特使と知事との懇談会において、私は自転車の活用について話し、より一層自転車先進地になるための提言をこれからもしていきたいと思っている。

最後に白状するが、かく言う私、自転車に乗れない。小学生時代川に落ちてけがをしたし、そのトラウマで未だに自転車に乗れないままできている。


【プロフィール】

下重暁子下重 暁子(しもじゅう あきこ) [作家]

宇都宮市生まれ

1959年 早稲田大学国語国文科卒業後、NHKアナウンサーに。
1968年、NHK退局フリーとなり、民放キャスターを経て文筆業に入る。
エッセイ、評論、ノンフィクションなど著書多数


主な著書
「鋼の女」−最後の瞽女・小林ハル−(集英社文庫)、「純愛」−エセルと陸奥廣吉−(講談社)、エロイーズ・カニングハムの家」(白水社)、「不良老人のすすめ」(集英社文庫)、「砂漠に風が棲んでいる」(角川学芸出版)、「持たない暮らし」(中経出版)

日本ペンクラブ副会長、日本旅行作家協会副会長、財団法人JKA(前日本自転車振興会)会長、とちぎ特使