※例年7月23日〜25日に開催しております「益子祇園祭」は、新型コロナウイルスの感染・拡大を防ぐため中止となりました。 (23日の神事のみ斎行)ご予定いただいていた皆様、楽しみにお待ちいただいていた皆様には申し訳ございませんが、何卒ご理解いただきますようお願い申し上げます。
益子祇園祭(ましこぎおんさい)は1705年(宝永2年)頃疫病が流行し、人々は生命を失い、作物は害虫にあい、天王信仰により祭りを行い、怨霊や疫病を鎮めたことに始まります。また、祭を通し豊作や幸福を祈りました。鹿島神社境内末社の八坂神社の祭礼で昔は天王祭と呼ばれていました。
現在では、氏子地区5町会(新町・田町・道祖土・城内・内町)が毎年当番制で行います。当番町には御仮屋(おかりや)が設けられ、23日の出御祭(しゅつぎょさい)と25日の還御祭(かんぎょさい)の際には、神社より神輿の渡御が行われます。
24日の当番引継の儀式では、江戸時代から伝わる町指定の民俗文化財「御神酒頂戴式」(おみきちょうだいしき)が当番町の当屋で行われます。羽織袴の男衆は猛暑の中、顔を真っ赤にしながら大杯の熱燗を飲み干し、五穀豊穣、無病息災を祈ります。この「御神酒頂戴式」は、関東三大奇祭のひとつに数えられ、この祭り最大の見所です。1年365日になぞり、大杯になみなみと注がれた3升6合5勺(約6.5リットル)の熱燗を3杯を飲み干す姿は壮観です。当番町の男衆が飲み干した後、来年の当番町の男衆10人も大杯に挑戦します。
25日の祭りのフィナーレは、「御上覧」(ごじょうらん)と呼ばれる屋台の神前奉納の儀が行われます。
また、23日には、両手で持つ「手筒花火」と片手で持つ「小型手筒花火」の打上げも行われます。勇壮な掛け声とともに高さ8mまで火柱が上がる様は、陶芸の町にふさわしい炎の祭典です。
益子祇園祭(ましこぎおんさい)は1705年(宝永2年)頃疫病が流行し、人々は生命を失い、作物は害虫にあい、天王信仰により祭りを行い、怨霊や疫病を鎮めたことに始まります。また、祭を通し豊作や幸福を祈りました。鹿島神社境内末社の八坂神社の祭礼で昔は天王祭と呼ばれていました。
現在では、氏子地区5町会(新町・田町・道祖土・城内・内町)が毎年当番制で行います。当番町には御仮屋(おかりや)が設けられ、23日の出御祭(しゅつぎょさい)と25日の還御祭(かんぎょさい)の際には、神社より神輿の渡御が行われます。
24日の当番引継の儀式では、江戸時代から伝わる町指定の民俗文化財「御神酒頂戴式」(おみきちょうだいしき)が当番町の当屋で行われます。羽織袴の男衆は猛暑の中、顔を真っ赤にしながら大杯の熱燗を飲み干し、五穀豊穣、無病息災を祈ります。この「御神酒頂戴式」は、関東三大奇祭のひとつに数えられ、この祭り最大の見所です。1年365日になぞり、大杯になみなみと注がれた3升6合5勺(約6.5リットル)の熱燗を3杯を飲み干す姿は壮観です。当番町の男衆が飲み干した後、来年の当番町の男衆10人も大杯に挑戦します。
25日の祭りのフィナーレは、「御上覧」(ごじょうらん)と呼ばれる屋台の神前奉納の儀が行われます。
また、23日には、両手で持つ「手筒花火」と片手で持つ「小型手筒花火」の打上げも行われます。勇壮な掛け声とともに高さ8mまで火柱が上がる様は、陶芸の町にふさわしい炎の祭典です。
基本情報
住所 | 栃木県芳賀郡益子町 |
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電話番号 | 0285-70-1120 (益子町観光協会) |
公式URL | http://mashiko-kankou.org/ |
電車・バスでのアクセス | 【電車】真岡鐵道益子駅から徒歩約10分 【バス】JR宇都宮駅から関東バス益子行きで約70分「鹿島神社前」下車 【高速バス】秋葉原駅から高速バス関東やきものライナーで約2時間30分「益子駅」下車徒歩約10分 |
車でのアクセス | 北関東自動車道桜川筑西ICから約20分 北関東自動車道真岡ICから約25分 |
開催期間 | 7月23日~25日 <毎年同期間開催> ■23日 八坂神社祭禮・祇園祭・出御祭・手筒花火 ■24日 御神酒頂戴式 ■25日 還御祭・御上覧 |
会場名 | 鹿島神社・益子町内 |