さむらいづかこふん

侍塚古墳

大田原市

  • 歴史・文化・自然

2022年6月2日更新

栃木県の
このあたり!

那須エリア

その美観から「日本一美しい古墳」と称されています。

侍塚古墳は那珂川右岸の段丘上に立地し、上侍塚古墳・下侍塚古墳の2基があり、いずれも前方後方墳です。上侍塚古墳は栃木県内の前方後方墳では、足利市の藤本観音山(ふじもとかんのんやま)古墳に次いで第2位の大きさを誇ります。下侍塚古墳は上侍塚古墳の北方約800メートルの所にあります。
元禄5年(1692)に徳川光圀の命により、日本で最初の学術的な発掘調査が上下両侍塚古墳で実施されました。この調査は現在笠石神社に祀られている那須国造碑(国宝)の碑主を求めての調査でしたが、それを明らかにするものは出てきませんでした。このとき鏡や管玉(くだたま)、壺(つぼ)など多くの遺物が発見されましたが、これらの遺物は画工に図化させた後に松板の箱に収められ、再び墓中に埋め戻されました。上下どちらの後方部墳頂にもその発掘の痕跡が凹地として今なお残っています。墳丘上には盛土の崩落を防ぐため松が植えられ、現在も美観を高めています。この調査後の古墳に対する保存対策の姿勢は、現在の文化財保存対策の一つの手法として生き続けています。
出土遺物などの検討から、上侍塚古墳は西暦400年をさかのぼる時期に築造され、下侍塚古墳は上侍塚古墳に先立って築造されたものと考えられています。当時の発掘の様子は、大金重貞(おおがねしげさだ)が著した「湯津神村車塚御修理」や、光圀の家臣の佐々介三郎宗淳(さっさすけさぶろうむねきよ)から大金重貞に出された手紙をまとめた「佐々介三郎書簡」によって知ることができます。
下侍塚古墳では昭和50年(1975)に土地改良事業に伴う周溝(しゅうこう)の発掘調査が実施され、古墳の規模、周溝の形状が確認され、さらに土師器(はじき)壺などの遺物が出土しました。

基本情報

住所 〒324-0403 栃木県大田原市湯津上
問い合わせ先 大田原市文化振興課文化財係 TEL 0287-23-3135
公式URL https://www.city.ohtawara.tochigi.jp/docs/2013082767660/
利用事前予約 事前予約なし
料金 無料
アクセス 電車・バス JR宇都宮線西那須野駅から車で約35分
東北自動車道西那須野塩原ICから車で約40分

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