明治のナイチンゲール大関和のふるさと栃木を巡る旅路「風に誘われて」
幕末に生まれ、近代看護の礎を築いた大関和。その足跡は、現在の大田原市、那須塩原市、那須町へとつながっています。彼女が生きた明治の時代は、人びとの暮らしや価値観が大きく揺れ動いた、ダイナミックな変化の時。そんな時代の空気は、まちの風景や歴史の中に、今もさりげなく息づいています。ゆかりの地を巡りながら、時代の転換期を歩んだ一人の女性の物語に、旅するように出会ってみませんか。
幕末の安政5年(1858)、黒羽藩家老の家に生まれた和は、激しく移り変わる時代のなかで成長し、明治14年(1881)に上京します。そこでキリスト教と出会い、洗礼を受けたことは、彼女の生き方や看護観を形づくる大きな転機となりました。東京で出会った牧師の植村正久の勧めにより、女性宣教師のマリア・トゥルーが設立した桜井女学校附属看護婦養成所に第一期生として入学した和は、ナイチンゲールの直弟子であるミス・アグネス・ヴェッチから直接教えを受け、西洋近代看護の理念と実践を学びます。さらに帝国大学第一医院での実地実習を経て、日本でも最も早い時期に正規の看護教育を受けた看護師(トレインドナース)として歩み始めました。卒業後は、帝国大学医科大学第一医院で初代の外科看病婦取締を務め、続いて新潟県の知命堂病院では初代看護長として現場を支えるとともに、看護師養成にも力を注ぎました。やがて東京に戻ると、東京看護婦会の講師として後進の育成に携わり、看護の質の向上や制度づくりにも尽力していきます。明治42年(1909)には大関看護婦会を設立し、キリスト教信仰を土台とした看護の実践と教育を生涯にわたって貫きました。信仰に支えられ、学びと実践を重ねながら看護に向き合い続けた大関和は、日本における看護師という職業の確立への貢献と、看護技術の向上への寄与から、まさに日本の看護師の先駆者であり、「明治のナイチンゲール」と呼ばれています。
大関和は、知命堂病院産婆看護婦養成所や東京看護婦会の講習所、さらに自ら設立した大関看護婦講習所で講師を務め、多くの看護師を育てました。現場で役立つ確かな技術を伝えるとともに、「看護とは何か」を考える姿勢を大切にし、後に続く看護師たちの土台を築いていきました。
当時、コレラや赤痢といった感染症は、多くの命を奪う深刻な脅威でした。和は、看護婦養成所で学んだナイチンゲールの看護理論に基づき、排泄物の適切な処理、病室の清掃や換気、患者の身体や衣服を清潔に保つことを徹底します。こうした基本を丁寧に守ることで、感染症の拡大を防ぎ、看護の力で人々の命を守る成果をあげました。
和は、看護の仕事が社会にとって欠かせないものであることを広く伝えることにも力を注ぎました。『派出看護婦心得』や『実地看護法』といった著書を刊行し、さらに雑誌への論考やエッセイを通じて、看護師の役割や意義、実践のあり方をわかりやすく紹介しました。こうした発信は、看護師という職業への理解と評価を高めることにつながっていきます。
*年齢は数え年で表しています。
4月1日、黒羽藩士・大関弾右衛門増虎と哲夫妻の次女として、下野国那須郡黒羽町に生まれる。この頃から翌年にかけてコレラが全国的に流行し、その影響は下野国内にも及んだ。
5月27日、父・増虎が死去する。同年、渡辺豊綱と結婚し、のちに長男六郎、長女シンを授かるが、結婚生活は長くは続かず、後に離婚している。
一家で上京し、新たな生活を始める。
1月、桜井女学院附属看護婦養成所に入学。3月に受洗し、キリスト教信仰を生活と活動の基盤とするようになる。養成所では、ナイチンゲールの教え子として知られるミス・アグネス・ヴェッチらから直接指導を受ける。10月には、帝国大学第一医院(現・東京大学医学部附属病院)で、約一年間にわたる実地実習を経験する。
10月26日、同期生の鈴木雅らとともに看護婦養成所を卒業する。卒業後はそのまま帝国大学医科大学第一医院外科に勤務し、看病婦取締として現場の指導にあたる。
帝国大学医科大学第一医院を退職し、年末には新潟県の高田女学校へ舎監兼伝道師として赴任する。教育と伝道の場で、看護とは異なる形の社会活動にも携わった。
5月、社会主義者・木下尚江と出会う。11月29日には知命堂病院の開院式が行われ、和は看護長として病院運営の中核を担うこととなる。
夏、高田から東京へ戻り、活動の拠点を再び東京に移す。秋には東京看護婦会講習所の講師に就任し、後進の育成に力を注ぐ。この年、看護婦の質の低下を強く憂い、内務省衛生局長・後藤新平に直訴し、看護制度の整備に向けた規則制定の約束を取り付けた。
3月、『婦人新報』にて「伝染病看護法」の連載を開始し、看護知識の普及に努める。6月には、実務書『派出看護婦心得』を出版し、現場に即した指針を示した。
1月、『婦女新聞』に「ナイチンゲール嬢」を連載し、看護の理念と先駆者の精神を紹介する。同年、東京看護婦会会頭に就任し、看護界を代表する立場となる。
大日本婦人矯風会において、衛生課長および遺伝課長を兼ねて務め、婦人衛生の向上と社会啓発に取り組んだ。
10月、病気療養のため那須湯本に滞在する。この静養期間中に、長年の経験をまとめた『実地看護法』の執筆を始める。
4月、『実地看護法』を出版し、実践的看護書として広く読まれるようになる。
11月3日、純然たるキリスト教主義を掲げ、大関看護婦会を設立するとともに、大関看護婦講習所を開所する。信仰と看護を結びつけた独自の活動を本格化させた。
9月1日、関東大震災が発生し、大関看護婦会も被災する。その後、本郷弓町一丁目二十六番地へ移転し、活動の再建を図った。
5月22日、長年にわたる看護・教育・社会活動の歩みを終え、死去。
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1404年創建、600年以上の歴史を誇る曹洞宗の禅寺。国重要文化財の茅葺き伽藍7棟が並ぶ姿は見事で、圧倒される美しさ。座禅・写経体験ができ、枕返しの怪談も。黒羽藩主・大関家の墓所があるため、家老の娘として生まれた大関和もきっと訪れたと思われます。
● TEL 0287-54-0332
●住所 〒324-0233 栃木県大田原市黒羽田町450
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市指定史跡。那珂川沿いの丘陵に築かれた山城跡。現在、城郭は土塁、水濠、空濠などが保存されています。城は1576年に大関高増が居城とし、約300年にわたり大関氏の本拠地でした。
● TEL 0287-54-1110(大田原市観光協会)
●住所 〒324-0234 栃木県大田原市黒羽前田
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大雄寺の門前に佇むロースタリーカフェ。自家焙煎の珈琲が楽しめます。寺とのコラボで生まれた「ゼンナブレンド」は、深いコクとやさしい苦味が特徴。大関和が愛したとされる新メニュー「パンペルデュ」と合わせてお召し上がりください。
● TEL なし(公式LINEにてお問い合わせください)
●住所 〒324-0234 大田原市前田928-1
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標高512.9mの緑地公園で、市民の憩いの場。山頂付近まで車で行けるため、初日の出を見ることができるスポットとしても人気です。晴れた日には筑波山や富士山まで望めます。春は山桜が咲き誇る名所で、山頂からは那須野が原を一望でき、日本遺産「明治貴族が描いた未来」の構成文化財にもなっています。
● TEL 0287-23-8012(大田原市農林整備課)
●住所 〒324-0224 栃木県大田原市北滝
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黒羽藩主・大関増業が著した兵学書『止戈枢要』に記された組紐技法をもとに復活した「大関組紐」。武具にも使われた精緻な技は今に受け継がれ、ストラップやブレスレットとして商品化。大田原市のキャラクター「チカちゃん」のリボンや腰紐にもあしらわれています。
● TEL 080-3787-9393(大関社中 ※令和8年3月末開業)
●住所 〒324-0241 栃木県大田原市黒羽向町79-7
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明治の元勲大山巌が大山農場内に建てた、和館と洋館からなる二つの別邸。現在は大山記念館として県有形文化財に指定され、洋館では当時の調度品や資料を展示しています。日本遺産「明治貴族が描いた未来」の構成文化財で、見学は管理する高校への事前連絡が必要です。
● TEL 0287-36-1225(栃木県立那須拓陽高等学校)
●住所 〒329-2712 栃木県那須塩原市下永田6-4
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明治の面影が静かに残る、心落ち着く公園。全長200mの参道に続くモミジ並木は市の天然記念物で、1917年に宮内省技師・山本直三郎の設計により植えられました。日本遺産「明治貴族が描いた未来」の構成文化財で、大山巌・捨松夫妻が眠る地として、今も穏やかな時間が流れています。(墓所見学不可)
● TEL 0287-37-5107(西那須野観光協会)
●住所 〒329-2712 栃木県那須塩原市下永田2-3
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明治の面影を残す、落ち着いた佇まいの洋館です。外交官として活躍した青木周蔵の別邸で、設計はドイツ建築を日本に伝えた松ヶ崎萬長。国重要文化財で、前庭のハンナガーデンには菜の花、ひまわり、コスモスが咲き、季節ごとにゆったりとした散策が楽しめます。
● TEL 0287-63-0399(道の駅 明治の森・黒磯)
●住所 〒325-0103 栃木県那須塩原市青木27
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那須野が原の開拓と自然・文化を伝える総合博物館です。地学や植物、歴史、美術など幅広い分野を扱い、約10万点の資料を所蔵。三島農場事務所跡に建ち、日本遺産「明治貴族が描いた未来」の構成文化財にも指定されています。企画展や体験教室も多く、学びながらゆっくり楽しめます。
● TEL 0287-36-0949
●住所 〒329-2752 栃木県那須塩原市三島5-1
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東京ドーム約176個分の広大な敷地に、約500頭の乳牛がのびのび育つ循環型酪農を実践する牧場 。明治の元勲・松方正義が開いた歴史ある農場で、日本遺産「明治貴族が描いた未来」の構成文化財。動物とのふれあいや乗馬、 新鮮な牛乳や自家製ソフトクリームなど、自然の中でゆったり楽しめます。
● TEL 0287-36-1025
●住所 〒329-2747 栃木県那須塩原市千本松799
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1884年創業、ぶどう栽培から醸造まで一貫して行う歴史あるワイナリー。ボルドー・ポイヤック村の伝統技術を取り入れ、メルローやカベルネ種を栽培。クラシックな「渡邊葡萄園醸造」と、モダンな「Nasu Wine」を軸に展開。那須塩原ブランド認定品として、お土産にもおすすめです。
● TEL 0287-62-0548
●住所 〒325-0027 栃木県那須塩原市共墾社1-9-8
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那須町北西部にそびえる迫力ある活火山で、標高1,915m。那須ロープウェイで9合目まで登ることができ、家族連れでも登山を楽しめます。山頂からは関東平野の大パノラマや雲海が広がり、秋の紅葉シーズンには多くの人でにぎわいます。
● TEL 0287-76-2619(那須町観光協会)
●住所 〒325-0301 栃木県那須郡那須町湯本
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九尾の狐伝説が残る那須町の景勝地。硫黄の香りが漂い、荒々しい岩肌が神秘的な雰囲気を演出します。5月には御神火祭が行われ、那須湯本温泉からも近く、散策の立ち寄りスポットとして親しまれています。
● TEL 0287-76-2619(那須町観光協会)
●住所 〒325-0301 栃木県那須郡那須町大字湯本182
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茶臼岳の山腹に広がる那須温泉郷は、約1400年の歴史と多彩な泉質を誇る名湯。江戸時代の温泉番付では東の名湯として、草津についで2番手に格付けされていたそう。大関和もリウマチの治療に訪れたと言われています。
● TEL 0287-76-2619(那須町観光協会)
●住所 〒325-0301 栃木県那須郡那須町湯本
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那須高原の玄関口に広がる施設には、マルシェや食事処、工芸館など見どころが充実。地元野菜や手作りのおみやげ品選び、那須和牛や那須ロイヤルポークの味も楽しめます。パンフレットや前売りチケットなどが揃うので情報収集に訪れてみてください。
● TEL 0287-78-0233
●住所 〒325-0303 栃木県那須郡那須町大字高久乙593-8
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那須町にある古民家風の和食レストランです。囲炉裏のある落ち着いた空間で、おこわやつきたての餅など素朴な田舎料理を楽しめます。商人、実業家として活躍した清水卯三郎の名とも重なり、和のもてなし文化を今に感じながら、ゆっくりと食事の時間を過ごせます。
● TEL 0287-78-7322
●住所 〒325-0303 栃木県那須郡那須町大字高久乙2727-344
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文明開化の時代、人々の暮らしとともに食文化も大きく花開いた明治。和と洋が出会い、新しい“ごちそう”が生まれました。かつての生活に想いを馳せながら、明治を感じさせるグルメをピックアップ。明治の味覚を今も実際に味わえる県内の名店をご紹介します。















